青空びゃくも【うたごえピアノCh】

こんにちは「青空びゃくも」です。このブログでは、歌声喫茶などでよく歌われる童謡や唱歌、懐かしの昭和・平成・令和の歌謡曲、そして子供のころ夢中になって歌ったアニメの主題歌を選び、ピアノで弾き語りをしているユーチューブのチャンネル 『 青空びゃくも【うたごえピアノCh】 』 の日々の出来事を書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。「青空びゃくもの弾き語りライブ♪」は、月~木曜日の17時、金曜日はお休みして、土・日曜日の17時から、ユーチューブでライブ配信をしています。(週6日配信)

第433回 青空びゃくもの弾き語りライブ♪

第433回 青空びゃくもの弾き語りライブ♪


青空びゃくも、ピアノ伴奏シリーズ 18
【 陽だまり(女性ボーカルキー:G):めぞん一刻 OP曲 】

新しいピアノ伴奏シリーズの動画が出来ました!最近のヒット曲は、ヒトの演奏技術を超えるようなDTM(デスク・トップ・ミュージック)で作られた曲や、たくさんの楽器がその曲に入っているために、複雑なコード進行をしている楽譜がとても多いです。だからびゃくものピアノ伴奏は、なるべく簡単なコード進行やシンプルなリズムにアレンジしてあります。ピアノだけの伴奏動画って実は少なくて、さらに男性ボーカルの曲を女性ボーカル用に移調しているピアノ伴奏動画は、ユーチューブの中でもほとんど無いと思います。びゃくもは、お客さんのほとんどが女性客である「うたごえ喫茶出身の伴奏専門ピアニスト」です。だから、びゃくもが作る楽譜は、基本的に女性ボーカル用のキーになっています。もしよかったら歌詞カードを片手に、ピアノ伴奏による歌の練習や、カラオケ気分で楽しく歌ってみてください♪

『 陽だまり 』 びゃくも、ウィキペディアで一生懸命に調べたので、この曲を分かりやすく解説いたします!

「 陽だまり 」は、1987年9月21日に、シンガーソングライター 「 村下孝蔵さん(むらした・こうぞう) 」 のデビュー8年目・12枚目のシングルとして発売されました。作詞・作曲は、もちろん村下孝蔵さんになります。この曲は、高橋留美子先生の原作漫画がTVアニメ化された、「 めぞん一刻 」 最終クールのOP曲として起用されました。ジャケットには、同作のヒロインである音無響子が描かれています。また、「映画めぞん一刻・完結篇」の予告編でも使用されました。そして、村下孝蔵さんが発表したシングルの中では、唯一のアニメソングだったんだそうです。オリコンチャートでは週間61位にチャートインし、1.5万枚の売り上げを記録しました。この曲についてのウィキ情報が少なかったので、村下孝蔵さんのウィキページをちょっと調べてみたら、びゃくもが今まで知らなかった情報がかなりありました。すごく長くなってしまいそうですが、村下孝蔵さんの生い立ちからヒットするまでを、なるべく分かりやすくご紹介いたします。

村下孝蔵さんは、1953年〈昭和28年〉2月28日に、熊本県水俣市(みなまたし)で生まれました。そして1999年〈平成11年〉6月24日に、46才という若さでお亡くなりになりました。フォークシンガーで、シンガーソングライターでもあります。代表曲には 「 初恋 」、「 踊り子 」、「 ゆうこ 」、「 陽だまり 」 など、恋愛をテーマとした数々のヒット曲があります。村下さんのウィキページの代表曲のところで、「陽だまり」もクレジットされていたことに、びゃくもはちょっと感動して嬉しかったです。

村下さんの実家は「村下興業社」という映画館を営んでおり、その家の第3子として生まれました。村下家は代々、男子は独立して 「 蔵 (くら) 」 を持てという理由で、祖父の名は改蔵(かいぞう)、父は昭蔵(しょうぞう)、兄は収蔵(しゅうぞう)、そして本人は孝蔵(こうぞう)だったんだそうです。ちなみに、びゃくものリアルの名前の方も、父親の名前が1文字入っていますよ(笑)

そんなお家に生まれた村下さん、最盛期の村下家は、九州各地に合計7軒の映画館とレストランを経営した資産家だったんだそうです。幼少期の村下さんは、実家が営む映画館で一番前の席に座って映画を観たり、お姉さんと一緒にラジオで歌謡曲を聴いたりして過ごすことが多かったみたいです。小学6年生の時に、映画 「 エレキの若大将 」 で加山雄三さんの 「 夜空の星 」 を聴いたことをきっかけに 「 ボクも作曲する!歌う!エレキギターも持つ!」と言うようになりました。しかし中学2年の時の村下家は、収益の悪化していた映画館を廃業し、新たな事業として 「 温泉の採掘 」を行っていましたが、それも失敗。その後に両親は阿蘇市のホテルに就職し、母親と共に転居しました。中学時代の村下さんはギター以外でも、競泳の平泳ぎの選手として活躍していました。そしてなんと!オリンピックを目指し、水泳部の特待生として鎮西(ちんぜい)高等学校・体育科に入学しました。

高校を卒業した18才の村下さんは、実家の事情から大学の進学をあきらめましたが、得意の水泳では実業団からスカウトされ、新日本製鐵の八幡製鐵所に入社しました。朝7時半に出社し、正午までお仕事。午後の1時半から夜の10時まで猛烈な水泳練習。1日1万2000メートルを泳ぎ、腹筋・背筋の筋トレの後、足腰を鍛えるため2キロのマラソンを走り込みました。当時のスポーツ選手の合言葉は 「 勝負に泣くな!練習で泣け! 」という感じで、青春スポ根ドラマにも負けないくらいの精神力で、水泳に励んでいたそうです。村下さんは高校生時代に 「中部九州大会、平泳ぎ100メートルで優勝! 」という成績を残しましたが、実業団の中ではこの成績でも平凡な選手として扱われていました。そんな実業団での生活環境が精神的に苦しくなり、村下さんは会社を辞めようと思っていたら、工場長から 「 ギターが弾けるんだから、会社のハワイアン・クラブに入ったら? 」 と勧められ入部。そして 「 宴会部長! 」 として会社で活躍するようになりました。しかし、ハワイアン音楽が自身の音楽志向に合わないことがわかり、1年で会社を退職しました。村下さんは当時を振り返った時に、その時の無念さは言葉では言い表せないものだった、と語っています。当時父親は、東洋工業(現在は、自動車メーカーのマツダ)に転職していて広島市に住んでいました。村下さんは、音楽中心の生活を目指したいこともあり、父親のいる広島へ移りました。

会社を辞めた後の19才の村下さんは、日本デザイナー学院広島校インテリアデザイン科に入学しました。エレキの若大将に憧れ、ベンチャーズに心酔していた、筋金入りのポップス少年だった村下さんが、広島でエレキギターからフォークギターに持ち替えて曲作りを始めた理由は、当時の広島は吉田拓郎さんのコピーをしている人達が多く、フォークギターを持たなければ音楽仲間が作れなかった為だったんだそうです。

専門学校を卒業した20才の村下さんは、ヤマハ広島店に就職しました。ヤマハで働いてる時に 「 ピアノ調律師になりたいです! 」 と上司に願い出たら 「 養成費もかかるし、難しいね。君が1か月で、30件のピアノ購入契約を取れたら考えよう 」 と言われました。村下さんは、競泳で培われた粘り強さでは誰にも負けない!という自信があったため、本当に1か月で43件ものピアノ購入契約を取りつけました。そして2年間でピアノ調律師の資格を取得。22才からはピアノ調律師として勤務する傍ら、ホテルのラウンジで弾き語りのアルバイトをし、地道に音楽活動を継続し続けました。その後フォークソングの流行りは徐々に収まっていき、時代はバンドサウンドや、エレキギターを含んだロック、そしてニューミュージック系の音楽に形を変えつつありました。当時の村下さんは 「 アコースティックの時代が、また必ず来るよ! 」 と言っていたんだそうです。びゃくもは、超ビックリしました!まさか村下孝蔵さんが、ホテルのラウンジで弾き語りをしていて、しかもピアノ調律師の資格も持っていただなんて・・・ウィキで調べていたら、もう驚きの連続ばかりです!

働きながら音楽活動を続けていた村下さんは、プロ歌手への誘いやレコード会社への斡旋バナシもありましたが、いずれも実現せず、 「 こうなったら自力で、何がなんでもカタチにしてみせる! 」 と、資金稼ぎに奮闘しながら曲づくりに励みました。東京の貸しスタジオでは料金の安い夜間だけを借り、既にプロになっていた往年の音楽仲間たちが駆けつけて、伴奏や機器操作を担当して5日間で録音を終え、26才で6年間務めたヤマハを退社。同年7月に自費制作アルバム  「 それぞれの風 」 を発表しました。全11曲のアルバムは、当時、「 思いを寄せていた女性をイメージして作ったものがほとんど 」 と話していたんだそうです。この頃の村下さんは、第2期の広島フォーク村に参加するなど、広島の音楽好き界隈では、ちょっと名を知られた存在となっていました。村下さんは 「 アルバム:それぞれの風 」 で、ヤマハ主催のポピュラー音楽コンテストに応募しましたが、受賞までには至りませんでした。

しかし、知人のライブハウス店主から勧められ、CBSソニー(現在のソニー・ミュージック)の第1回全国オーディションに応募し、見事にグランプリを獲得しました。CBSソニーの社内では、プロとして村下さんをデビューさせるに当たって、熱のこもった議論がなされていました、その議論の内容は、当時流行っていた山下達郎さん(やました・たつろう)や、南佳孝さん(みなみ・よしたか)のような、シティポップ・アーティストに力を入れていった方がいいんじゃないか・・・と。フォーク系でそれなりに年齢も重ねていた26才の村下さんの将来性を巡って、社内ではかなり意見が分かれたそうです。「 このオーディションで一番レコードが売れるのは村下孝蔵だ!」 と断言する者もいれば、「 フォークはもう終わりだぞ!ラジオスターの時代じゃなくて、ルックスの時代なんだ! 」 と、村下さんのルックスや年齢に難色を示す者もいました。ただ、村下さんが作った楽曲のセンスや声の良さは誰もが認めるところで、27才の時にシングル 「 月あかり 」 で、なんとかプロデビューが決定しました。そして翌年となる28才の時にリリースされた2枚目のシングル 「 春雨(はるさめ) 」 は、地道なプロモーションを重ねた結果、オリコンチャート最高位58位を記録、およそ3か月半に渡ってチャートにランクインしました。さらに翌年の村下さんが28才の時に発売したシングル 「 ゆうこ 」 は、北海道札幌の有線放送で火がついて、全国的に村下さんの認知度広がり、オリコンチャート最高23位を記録。約7か月半にわたってチャートインしました。

そしてついに、30才の村下さんが発表した5枚目のシングル 「 初恋(はつこい) 」 は、オリコンチャートで最高3位を記録する大ヒットとなりました。 「 初恋 」 は村下さんがバラードとして作ったものを、編曲家の 「 水谷公生さん(みずたに・きみお) 」 がテンポを上げてポップ系に編曲し、村下さんがそれを受け入れたことで完成した楽曲でした。同年にはもう1枚のシングル 「 踊り子 」 をリリース、前作の「初恋」に続き、およそ10万枚を売り上げるヒット曲となり、「初恋」に次いでライブ・コンサートでの演奏回数が多い曲になりました。しかしシングル「初恋」の発売前後に、全国キャンペーンなどのハードスケジュールが原因で、村下さんは肝炎を患い、多くのイベントや番組出演などをキャンセルすることになります。その後は入退院を繰り返しながらも、34才の時に全国ツアーを再開し、同年9月にリリースしたシングル 「 陽だまり 」 が、TVアニメめぞん一刻の主題歌として起用されました。

1999年6月20日、駒込(こまごめ)のスタジオで、村下さんはコンサートのリハーサル中に突然 「 気分が悪い 」 と体調不良を訴えました。当初は救急車も呼ばず、スタッフ付き添いのもと自力で病院を訪れていたんだそうです。医師の所見では当初、「 1週間ほどで回復し日常に戻れる 」 と言われていました。しかし、診察でCTの装置に入った時点で、意識不明の昏睡状態に陥ってしまいます。その結果 「 高血圧性・脳内出血 」 と判明。病院へ通うようになってから、わずか4日後の6月24日に、村下孝蔵さんはお亡くなりになりました。享年46才、あまりにも若すぎる年令で、村下さんは逝ってしまいました。

皆さん、いかがでしたでしょうか!かなり長い文章になりましたが、ウィキペディアの情報をコピペしているだけで、けっこう簡単なんじゃないの~って思いますよね。実はこの 「 わかりやすく説明する 」 という文章の校正・編集作業で、7時間もかかっているんですよ(笑)ま~それはさて置いて、びゃくもはいつも、ライブ中で村下孝蔵さんの弾き語りをする時に、「 村下さん、天国にはやく行き過ぎですよ~。年齢を重ねた村下さんの歌を、もっと・もっと聞きたかったです! 」 って語っています。だから今回は村下さんに敬意をこめて、すんごいめっちゃ時間をかけて、村下さんの生い立ちを文章にしました。今までは何となくでしか知らなかった村下さんのことを、いろいろ知ることができて良かったと思います。。。第433回 青空びゃくもの弾き語りライブ配信、よかったらゼヒ!見に来てください♪


※ 基本的には、17時から配信をスタートします♪
※ スタートが遅れる時には、配信画面の右側にあるチャット欄にてお知らせいたします!

☆☆☆ 青空びゃくものオススメ動画! ☆☆☆

びゃくもが通っている【式代りりかちゃんねる】のV教師で担任です。そしてVtuber達がしのぎを削る本格麻雀リーグ、ブイ・プロリーグ(通称VPL)の第1期生でもある、式代りりか先生の「30秒で自己紹介!」の動画です。よかったら見てね~♪
※ りりか先生のライブ配信は、朝活が7時30分くらい、夜のゲーム実況が21時ちょうどから、毎日配信をしています!

山田れいじ先生と河崎翆さんの対談動画、毎日のブログを書く時の作業BGMに使わせてもらっています。本日で合計157回目の勇気をもらいました!皆さんも、よかったら見てね~♪
( 青空びゃくもは世界でいちばん!この動画を繰り返し見ているVチューバーです♪ )
『 なぜVTuberは病んでしまうのか? どう向き合うべきなのか? 』
【おふたりのユーチューブ・チャンネル】
山田玲司のヤングサンデー  河崎 翆 ch / Kawasaki Sui ch.

山田玲司のヤングサンデーで、ついにVチューバー特集が放送されました!この前れいじ先生と対談した河崎翆さんに加え、ねこますさんも出演しています。上で紹介した動画の続編みたいな感じで、とっても面白いですよ~♪
『 伝説の元VTuber 「ねこます」 今夜限りの大復活!
現役V 河崎翆さんも参戦し語る VTuberの魅力と歴史!! 』

こちらの動画は、合計 4回目の勇気をもらいました!皆さんも、よかったら見てね~♪
ねこますさんのユーチューブチャンネル「けもみみおーこく「狐」」です!

「山田玲司のヤングサンデー」 ディスカバリーレイジチャンネル会員動画を無料公開!
『 シリーズ 勝手に絶薬 死にたい時に見る動画(だからこそ、生き延びてくれ!)
山田玲司、蒼き主張!特別版 』

こちらの動画は、合計15回目の勇気をもらいました!皆さんも、よかったら見てね~♪
対談相手:だいまりこさんのユーチューブチャンネル「未来に残したい授業」です!




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